大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

盛岡家庭裁判所 昭和51年(家)305号 審判 1977年3月24日

申立人 川村京子(仮名)

主文

住所盛岡市大通三丁目五番一八号弁護士伊藤大陸を被相続人亡服部武吉の相続財産管理人に選任する。

理由

1  申立人は、主文同旨の審判を求め、申立の実情として次のとおり述べた。

(一)  被相続人亡服部武吉は、生前、盛岡市○○通○丁目○○○番宅地一五九m九九(以下、本件土地という。)を所有し、地上に居宅を建て居住していたが、明治初年頃、本件土地を未登記のまま中山康吉に贈与し、その後、○○○方面に赴き、明治二五年五月一六日死亡した。

(二)  被相続人服部武吉の死亡により相続が開始したが、現在においては相続人のあることが明らかではない。

(三)  中山康吉は、大正一〇年七月一三日死亡し、同人の二男中山康一が家督相続して本件土地も所有するようになつたが、昭和二五年一二月二日、中山康一は本件土地を申立人に売却した。申立人は、その后、本件土地を管理してきたものであるが、本件土地の土地登記簿は表題部所有者欄に被相続人服部武吉の名が記載されているのみで、保存登記もされておらず、その所有権移転登記を求める利害関係がある。仮に、申立人の本件土地取得原因である売買が分明でないとしても、本件土地について申立人は取得時効を完成させているものである。

(四)  よつて本件申立に及んだ。

2  ところで、本件記録中の各不動産登記簿謄本、各除籍謄本、原戸籍謄本、各戸籍謄本、盛岡市長作成の「戸籍調査依頼に対する回答」と題する書面および証明書、ならびに当庁家庭裁判所調査官補○○○○○の調査報告書、中山サト審問の結果によれば、以下の事実が認められる。

(一)  被相続人亡服部武吉は、服部昌吉の四男として嘉永二年三月一五日に生れ、明治二一年三月二三日○○村○○番戸より移転して、巖手県○○○郡○○村字○○○町○○番戸に戸主として入籍し、明治二三年八月一五日佐藤長一郎養女分娩の女トシを籍に入れたが、同女は同年九月三〇日死亡し、他に身分関係を生じないまま明治二五年五月一六日死亡した。

父服部昌吉の除籍は現存しないため、服部武吉の傍系血族は必ずしも明らかではないが、四男であるところから他に兄の存在が窺われ、また、服部武吉の姉シズ(文政一〇年六月二八日生)が岩手県盛岡市○○町○○番戸の前戸主中山康吉の妻として入籍し、明治四〇年九月二四日死亡していることが判明するのみである。

(二)  上記中山康吉の長男戸主中山康吉は、大正一〇年七月一三日死亡し、その二男中山康一が家督相続した。中山康一の弟である三男康三は大正一二年四月二日、同県○○○郡○○町第○○地割字○町○○番地戸主川村英五郎、同妻ミヨ、同長女アサと婿養子縁組婚姻し、昭和六年三月二〇日、五女である申立人京子をもうけた。右川村康三は、昭和四四年一〇月一一日死亡した。

(三)  服部武吉は、本件土地を所有していたが、不動産登記はその表題部所有者欄にその記載があるのみである。シズの夫中山康吉は、生前、本件土地を服部武吉から贈与を受けたとしてその管理をはじめ、同人の死亡によりその長男中山康吉が家督相続し、さらに同人の死亡により中山康一が家督相続し、その占有を継続した。中山康一は、昭和二五年頃、本件土地を隣地四六一番宅地とともに川村康三に売却し、同人において占有するようになつた。同人が、昭和四四年に死亡した後、申立人らがこれを占有しており、申立人は、本件土地につき所有権移転登記手続を求めているものである。

3  右認定事実によれば、申立人が本件土地につき所有権移転登記を求める利害関係を有することは明らかであるので、被相続人亡服部武吉の相続財産についての利害関係人に該ることはいうまでもない。

ところで、被相続人亡服部武吉の相続については、その死亡が明治二九年四月二七日法律第八九号民法(旧民法)施行前の明治二五年五月一六日であるところ、明治三一年六月二一日法律第一一号民法施行法によれば民法施行前に生じたる事項に付ては本法に別段の定ある場合を除く外民法の規定を適用せず、とし、同法には旧民法施行前に生じた相続開始についての別段の定はおいていない。そして、旧民法施行前には、太政官布告、達、指令等に定めがある場合にはそれらが法令としての効力を有すべきところ、本件事案に則した定めも見あたらない。そうすると、本件の相続関係については、法例二条の趣旨をくんで、当時における当該地域における慣習をもつて定めるのほかない。そして、明治初めに編さんされた「全国民事慣例類集」によると、「凡ソ相続ノ順序ハ戸主ノ見込次第ニテ長男ヲ分家シ幼子ニ相続セシムル等其例多シト云ヘトモ長男ヲ以テ相続人ト定ルコト一般ノ通例ナリ」とあるが、本件のごとく直系卑属および配偶者がない場合における相続慣習は必ずしも明らかではない。しかし、旧民法の制定も以前の慣習と無縁のものであつたとも思われず、かかる場合、兄弟および姉妹の順に、傍系血族への相続がなされていたものと一応推認することはできよう。

そして、前記認定のとおり、被相続人亡服部武吉には、相続開始当時、配偶者および直系卑属がないことは明らかであり、傍系血族への相続がなされたものと認められる本件において、兄弟の不存在が確認されるのであればシズが相続人であつたとも推認しうるものの、兄弟の存否について必ずしも明らかではないのであるから、被相続人亡服部武吉の相続人のあることが明らかではないときに該るものと認めうるところである。

4  そうであれば、申立人の本件申立は正当であるので、職権による調査のうえ、住所盛岡市大通三丁目五番一八号弁護士伊藤大陸を被相続人亡服部武吉の相続財産管理人に選任することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 大内捷司)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例